第4章 餘部駅の誕生 (その1) [ちょっとそこまで]
昨日の記事を書くために、餘部駅のことをちょっと調べたのですが、
いろんな資料に目を通していくと、
昨日の記事だけでは中途半端なことが気になり始めました。
もうちょっと詳しく残しておきたいので、
興味のない人にとっては、漢字の多い、読みにくい記事となりましたが、
3回くらいに分けてupしたいと思いますので、よろしければお付き合いください。
ほとんどが、資料からの転載となりますが、それもご容赦ください。
記事はどうってことないのですが、当時の写真がなかなか味があります。
鉄橋ができても生活は変わらず
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明治45年に餘部鉄橋が完成し、山陰本線が全線開通したが、
地元余部地区の住民生活にとっては恩恵がなかった。
三方を山で囲まれた“陸の孤島”余部。
210戸、1,200人余りの住民にとって外部との行き来は、
相変わらず車も通らない山越え道しかなかった。
完成当時、東洋一といわれた立派な鉄橋が頭上にそびえ、
汽車が通るようになったとはいえ、半世紀近く余部には駅がなかったのである。
通勤する大人や通学の中高校生たちは汽車に乗るために、
まず線路まで高低差40mの急坂をはい上がり、
危険を承知で高く長い鉄橋を歩いて渡り、
列車運行の合間を縫いながら大小4つのトンネルを抜けて約1.8km、
ようやく鎧駅にたどり着くという状況にあった。
目がくらむような鉄橋の上も、真っ暗なトンネルを通るときも、
枕木の間隔を体が覚えていて難なく歩くことができたというが・・・。
第1回はここまで 出典は「余部鉄橋」・・・架替のために発刊された記念誌です。
雪の中、列なして線路の上を歩くのは大変だったでしょうね。
半世紀近くもそんな状態が続いていたなんて~~
当時のモノクロ写真と、クレーンが聳える現代の対比が面白いです。
by pawpaw (2009-04-20 22:42)
かって、この鉄橋は落ちたことがあるのですよね。
by kakasisannpo (2009-04-20 22:45)
●pawpawさん こんばんは
すごい、としか言えません。
●kakasisannpoさん こんばんは
はい、回送列車が強風に煽られ落ちてしまいました。
by kazn (2009-04-21 21:12)
そんな背景があったのですね。。知りませんでした。
by m-grace (2009-04-22 17:07)
この時代、日本中の多くのところがこんな状況だったのかも知れません。
ただ、私たちが知らないだけで。
by kazn (2009-04-23 21:34)