1971年(その2) [音楽]
Music Life
この1971年は、私にとって特別な年です。
中学2年生になっていたのですが、この頃から洋楽に興味を持ち出し、
『Music Life』という洋楽専門誌を定期購読していました。
この種の本ではよくある企画ですが、年末には、その1年のベスト・アルバムが選出されます。
この年だけではなく、半世紀が過ぎた今でも、
「ベスト」に選出される名盤が数多く発表された、音楽界の特異年となりました。
さて、この1971年がどんな年だったかと言うと、
前年の1970年には大阪万博が開催され、
そのまた前年の1969年にはアポロ11号が月面着陸をしています。
そのまた前年の1968年には、国民総生産(GNP)が資本主義国家の中で第2位に達しました。
日本中が特需に湧き、「東洋の奇跡」と呼ばれた高度経済成長期の末期にあたります。
身近なところでは、この年にカップ・ヌードルが発売されています。
また、尾崎紀世彦 が、『また逢う日まで』でレコード大賞を受賞し、
アイドル歌手全盛時代の先駆けとして、後に「新三人娘」と称される
南沙織、小柳ルミ子、天地真理が揃ってデビューをしました。
話が大幅に逸れてしまいましたが、ベスト・アルバムについて話さなければなりません。
先日紹介した、ジョン・レノンの『イマジン』は、もちろんその1枚なのですが、
音楽界ではどんな年だったのかと言うと、
これも『イマジン』のところで触れましたが、ビートルズ解散の(法的な)年です。
(グループの音楽活動としての実質的な解散は1970年)
ビートルズがロック、ポップ音楽界に与えた影響は計り知れないものがあります。
彼らの存在なしに現在のロック界はないと言っても決して過言ではないはずです。
1962年に『Love Me Do / P.S. I Love You』がリリースされてから、
1970年の『Let It Be』の発表後の解散まで、
彼らがその後のロック界の黄金時代の基礎を造ったのですから。
このことは、他の後進グループが、ビートルズの圧倒的な影響力の範囲を越えることができなかったことを意味しています。
つまり、ビートルズは、デビューによってロック音楽を革新化したのみならず、
解散によって、後進者を彼らの強力な磁場から開放し、普遍化する役割を果たしたのです。
「ビートルズとの比較」という呪縛からの開放。
どれだけ気持ちの良かったことでしょう。
この後、ロック界は黄金期を迎えることとなりました。
長くなったので、to be continued.
(私、専門家ではありませんので、内容に間違いがあったらごめんなさい。)
思い出すと、歌謡曲では南沙織がお気に入りでしたね~。
カップヌードルは次の年、2月28日浅間山荘突入で一躍有名になった
のを覚えています。誰かの記念日だったのですがトイレに行くのも忘れ
テレビを観ていました。
歳がばれますが、当時ブラスバンドで各パートのスコアのアレンジを
してみたりで、洋楽系でもポップス・オーケストラに傾倒しておりました。
パーシーフェイス・マントバーニー他・・ 「MR.RONELY」は・・・そう
飛行機旅行でのプラスチックのエアホンで聴くチャンネルは 城達也
のJET STREAM & 日本落語協会です ?
by 義助 (2008-12-10 22:29)
ジェット・ストリームの城達也は、痺れます。
あの出だしを聞くと硬直しますね。
おまけになぜか、『オールナイト・ニッポン』を飛び越えて、『走れ歌謡曲』のオープニング曲が頭を駆け巡ります。
トラック野郎じゃないんですけどね。
by kazn (2008-12-11 01:33)