赤い鉄橋 [ちょっとそこまで]
山陰本線鎧駅と餘部駅の間に余部鉄橋があります。
1912年(明治45年)3月1日に開通した、長さ310.59メートル、高さ41.45メートル、の赤い色のトレッスル橋です。
私が子どもの頃は、東洋一高い鉄橋と教えられました。
鉄道ファンの間ではかなり有名で、
珍しい列車が通る時などは、関東圏からも写真を撮りに来る方がいらっしゃいます。
雪景色となった先日、鉄橋を見る機会に恵まれました。
11基の赤い橋脚は、田舎の景色と相まって、ノスタルジーを感じさせてくれます。
1986年(昭和61年)12月28日午後1時25分頃、
香住駅より浜坂駅へ回送中のお座敷列車「みやび」が、
低気圧の通過で大荒れとなった、日本海からの猛烈な季節風にあおられて、
橋りょう中央部付近より機関車と客車の台車の一部を残して7両が転落しました。
国道を塞いだ車両からは火のてがあがり、
集落の端から端までを埋めてしまった車両は、現代版地獄絵図と化していました。
転落した客車は橋りょうの真下にあった水産加工工場を直撃し、
従業員だった主婦5名と乗務中の車掌1名の計6名の命を奪い、
客車内にいた日本食堂の車内販売従業員1名と水産加工工場の従業員5名の計6名が重傷を負いました。
この年は、私が結婚した年であり、妻の誕生日に起こった事故でした。
今年も間もなくこの日がやってきます。
不幸にも事故に遭った犠牲者の皆様のご冥福をお祈りいたします。
タグ:余部鉄橋
ヒューマンエラー
私は「オタクさん」ではありませんが親父の影響か
乗物は大好きです。
親父さんは旧国鉄に勤務し昇給試験合格も無視して
安全管理の現場を一貫した無口な頑固者でした。
その時、余部駅は数年前に無人化しており「あの駅
には現地状況に対応できるベテラン駅員が絶対必要
だ、起きるべくして起きた事故だ。公共的な仕事は
非生産性の部分も大きいが、それ故その地域、その
状況に対応できるプロであるべきだ。」
当事、国鉄労働組合の不当な行動もある中、国鉄再建
監理委員会の意見を受け政府の改革関連8法案が61
年の11月に成立、62年の4月に民営・分離化されJRが
発足する嵐の狭間でした。
「民営合理化はあって良いが手抜きに繋がるのが怖い
また大きな事故か起きるかもしれん・・・」
めったに仕事の話はしない親が、怒り顕わにして語る
様子をみて若き社会人の私は「プロ・職人」を大きく意識
した時期でした。
長文スミマセン。
by 義助 (2008-12-21 13:23)
確かにヒューマン・エラーには違いないのですが、
あの時の風は、それまでの経験を超えるものでした。
誰が、列車を吹き飛ばすような風を想像できたでしょう?
でも、それをするのがプロなんでしょうね。
by kazn (2008-12-21 16:16)
余部鉄橋は「夢千代日記」で知りましたが、転落事故のニュースの方が強く記憶に残っています。本当に悲惨な事故でした。
by nexus_6 (2008-12-25 00:40)