赤い鉄橋(その2) [ちょっとそこまで]
昨日紹介した事故の原因は、
「風速25m/s以上を示す警報装置が作動していたにもかかわらず列車を停止させなかった、
人為的ミスと見られている。」のですが、
この事故が起こるまで、列車が停められた前例なんてほとんどなかったんです。
ですから、警報が出ていても通すことが常態化していたはずなのです。
ミスには違いないのですが、
このときの担当者は重すぎる十字架を背負ってしまいました。
その後、
列車は安全対策から規制がより強められ、風速20m/s以上で停止されるようになりました。
冬型の気圧配置が強まり、北西の季節風が吹くと、頻繁に停まり、
列車運行がマヒしてしまいます。
通勤・通学は「いつものこと」だから、どうにかなるものの、
カニを食べに訪れた観光客は、足止めされ、観光産業に大打撃を与えることとなりました。
そのため、当時から風の影響を受けにくい防風設備工事案等が検討されましたが、
強度的に不可とのこと。
残るは、新橋を架けるしか対策はないのですが、
その費用が莫大で、なかなか実行できませんでした。
やっとGOサインが出たのは、2001年のこと。事故から15年が経っていました。
着工まではさらに6年の歳月を要し、2007年となっていました。
現在は、PC橋脚が姿を現し、生まれ変わることが現実となってきました。
2年後の2010年の秋、新橋を列車が渡ることとなります。
100年後には、現橋のように、
無くなることを惜しまれるような存在感ある橋となっていればいいと思います。
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