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民主党政権誕生!(タイでは・・・) [バンコク]

08.12.15_バンコクのたんぼ.jpg

タイ国、第27代首相にアピシット民主党党首が選出されました。
さて、これで国政は正常化するのでしょうか?

どれだけの情報通の意見なのかは分りませんが、いろいろな憶測が飛び交っています。

●民主党は古くからの利権政党であり、数合わせ政治に終始し、直ぐに政権政党から脱落する。
●最悪の政権誕生!旧利権層の傀儡政権。
●PADの愚行よりもさらに酷い事態をUDDが引き起こす。
 ⇒これは、早速、国会を包囲して暴れてます。
 ⇒軍と警察は民主党寄りの態度を取っていますから、早めに収束はすると思われます。
●経済的政策については無知な政党であり、なにも期待できない。
●どんな政党が政権を取ろうが、私利私欲に奔走する者ばかり。何も変りはしない。

なんだか、タイじゃなくてどこかの口の曲がった人が首相を務める国のコメントともとれそうです。
写真だけ見ていると、かなりのクール・ガイ。
道は険しい状況のようですが、
タイ・ファンとして国政が沈静化することを心よりお祈りいたします。
(もちろん、我が国の正常化も望んではいます。・・・期待はしていませんが。)

第27代首相にアピシット民主党党首

12月15日に実施された特別国会でアピシット民主党党首が第27代首相に選出された。

対抗馬であるタクシン派・市民の力党(解党)の受け皿政党「タイ貢献党」陣営は、
国土のため党のプラチャ党首を首相に推薦。
公開投票の結果、アピシット党首235票、プラチャ党首198票となった(棄権3)。

今回の首相選出は、12月2日、憲法裁判所が市民の力党に解党命令を下し、
党役員の公民権が停止されたことで、ソムチャイ首相が失職したことによる。
最初、民主党陣営では連立与党の引き込みで政権樹立を画策したが、
議席数がタイ貢献党に及ばず、一時断念。
しかし、市民の力党のネウィン派(37議席)が民主党側に「寝返った」ことで、政権樹立が可能となった。

また、軍部、財界が民主党政権樹立を後押ししたほか、
新旧バンコク国際空港を不法占拠した反政府組織「市民民主連合(PAD)」も民主党を支持しているとみられることも追い風となった。

しかし、民主党政権樹立のため、連立与党および支持派閥に相応の閣僚ポストを約束したとみられ、経済再建・政局打開のための「適材適所」内閣がどの程度実現できるかは不明だ。

さらに、民主党と連立を組むことになっている国土のため党、タイ団結国家開発党はアピシット支持派とプラチャ支持派で分裂しており、アピシット首相は船出早々、難しい舵取りを迫られることになる。

一方、タクシン元首相を支持する「反独裁民主戦線(UDD)」の抗議行動が活発化する可能性も否定できない。
12月13日にバンコク都内の国立競技場で行われた政府支持集会では、
タクシン元首相が電話参加をするはずだったが、
サノ国王臣民党党首とプラチャ国土のため党党首が
「タイ貢献党政権を樹立させたいなら、電話参加を控えてほしい」と申し入れ、
タクシン元首相がこれを受け入れたとの経緯がある。
このため、今回の投票結果を受けた同元首相の「次の一手」が注目されている。

アピシット・ウェチャチワ氏.jpg

■第27代首相に選ばれた「アピシット・ウェチャチワ氏」(44)

両親ともに医師の家庭に生まれる。
英国オックスフォード大学政経学部を首席卒業、同大学で経済学修士号を取得。
オックスフォード大学で講師を務めた後、
帰国して、国立タマサート大学経済学部および陸軍士官学校で教鞭をとる。
92年に民主党公認候補としてバンコク都から立候補して初当選。
同年、首相府報道官となる。
95-97年、民主党報道官。
97年に首相府相として初入閣。
99-05年、民主党副党首。
05年に民主党党首に就任。
・・・・・バンコク週報 2008.12.15/11:34・・・・・



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